デジタル生活を自己決定できる社会
近年、ダイエットのためのプライベートレッスンが流行しています。それはいくらかのお金を支払ってでも、健康的で見栄えのする体と習慣を手に入れたいという人がいることを示しています。一方では、家計の貧しい人ほど肥満になる割合が高いという統計的な傾向が知られるようになりました。これは一因として、所得が低いと出来るだけ少ない金額でエネルギーを摂取しようとするために、肉や野菜よりも安価な穀物を好んで摂取する傾向が生じるからです。
縄文時代に作られた土偶を見てもわかるように、かつて肥満は豊かさの象徴でした。しかし現代では、肥満は貧困や不摂生などと結び付けられて否定的な印象が先行するようになりました。

実はこの肥満についての印象の変化は、スマホで動画やSNSを見たりといった「デジタル生活」の将来を考える上でとても参考になります。口から食べ物を摂取しすぎて肉体の健康を維持できなくなることを肥満と呼びますが、世の中ではいま、目や耳から情報を摂取しすぎて頭の健康を維持できない「あたまの肥満」が蔓延しています。あたまの肥満状態になると、人はたえず新しい情報を摂取したくなって我慢ができなくなります。 唯一、からだの肥満と異なるのは、脳は見に見える形ではぶくぶくと太らないことです。

遠くない未来、「あたまの健康」は「からだの健康」と同じかそれ以上に重視されるようになっていきます。 デジタル環境の乏しい頃には、「スマートフォンで遊び放題なのは望ましいことだ」と考えるのは自然でしたが、デジタル情報の飽和する時代になると、「適切に摂取する」ことに価値が移ります。 そうなれば、人は「あたまの肥満」にならないように気にかけるようにもなります。気の向くままアプリを開いてゲームや動画にSNSを楽しんでいる状態が異常だと気づいた人たちから、デジタル生活についても自己管理しようと努めるようになり、その結果、背骨を丸めてスマートフォンに熱中する姿は貧困と不摂生の象徴になります。
そのような未来を待たずして私たちは、あたまの肥満をみっともない有り様だと批判します。からだが肥満になってもすぐに死ぬことはないように、あたまの肥満もべつに死に至るわけではありません。しかしそれは単に動物として生かされているだけであって、人間らしい生き方とは言えません。目の前につき出された情報を頓着せずに目と耳から流し込む姿勢は、与えられた餌を与えられただけ喰らう家畜のようにも見えます。

あたまの肥満を強く批判する理由は、自己決定する権利を放棄しているからです。 スマートフォンに限らず、私たちの身の回りはデジタル機器に囲まれ、絶え間なくその情報を受け取っています。これらの情報がまず、自然に存在しているものではなくて、すべて誰かが意図を持って発信しているという点を意識しなければなりません。日ごろ目にする情報はただ偶然に私たちのもとへ届けられたのではなくて、明確な意図と設計のもとで提示されているのです。
実際、情報を発信する手段を持つテクノロジー企業は、受け取り手がよりたくさんの情報が欲するように、 日々アルゴリズムの改良に取り組んでいます。そして私たちがどれだけ注意深く接してもかなわないほど巧妙に、情報を通じてユーザの行動を変えてしまいます。 このように考えると、デジタル情報を取捨選択せずに受け取ることは、吟味せずに他人の意見に言いなりになることと同じなのです。

大切なことは、デジタル生活において自己決定できていることです。
人間の尊厳は、自分のことは自分で決められ、またその能力があり、実際に自分のことを自分で決めているという現実の上に成り立ちます。たとえば医療の世界では、インフォームド・コンセントという概念が広く浸透しています。これは、医療行為上の重要な決定については、専門的な知識を持つ医師のみが決めるのではなく、患者にも理解できるように説明して、患者自身が納得してから決定するという考え方です。医療の世界ではとくに、決定が患者に重大な影響を及ぼすことからいち早くこうした概念が発達しましたが、情報技術の世界でも本来は、専門的な知識を持つテクノロジー企業が一方的に影響力を行使するのではなく、ユーザ自身が情報技術と画面設計によってどのような影響を受けているのかを理解しているべきです。

私たちが目指す未来は、ゲームや動画にSNSといった娯楽が発達しているのと同じくらい、デジタル生活をコントロールするための道具が充実している社会です。 株式会社デジタルデトックスは、そのための具体的で実効的な解決策を提供することで、目指すべき未来に貢献します。